1930年代の大阪 大阪駅

1930年代の大阪駅で高架のプラットフォームに入って来る蒸気機関車。大阪駅は元来木造の建物だったが、1901年(明治34年)に石造りになった。現在の大阪駅と比べると、プラットフォームはやや閑散としている。とはいえ、鉄道旅行に大変人気が出て、普通のものになったのは日本政府が大いに努力したことが大きい。この写真が撮影された頃には、日本の鉄道は利用者の多さと路線網が進んでいることで世界有数になっていた。
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1930年代の大阪駅で高架のプラットフォームに入って来る蒸気機関車。大阪駅は元来木造の建物だったが、1901年(明治34年)に石造りになった。現在の大阪駅と比べると、プラットフォームはやや閑散としている。とはいえ、鉄道旅行に大変人気が出て、普通のものになったのは日本政府が大いに努力したことが大きい。この写真が撮影された頃には、日本の鉄道は利用者の多さと路線網が進んでいることで世界有数になっていた。
東京の花柳街としてよく知られていた吉原にあった明治時代の遊廓の一つ。女達が窓の中に座っている。吉原について更に知りたい人は、「1900年代の東京 • 吉原の大門」を見ていただきたい。昔の日本の売春については「遊郭」を見ていただきたい。
オリエンタルホテルと言えば、100年以上に亘って神戸の顔だった。この写真が撮られた頃は、日本で最高のホテルの一つであり、その上最高の料理が味わえる場所の一つとして有名だった。ここに惹きつけられたのは神戸を訪れた外国人ばかりではなく、日本の恵まれた階級の人々も、上流社会の社交場として利用した。谷崎潤一郎の名作「細雪」には、主人公一家が特別な場合にオリエンタルホテルをよく利用するのが出て来る。お見合いをしたのもこのホテルだった