OLD PHOTOS of JAPAN, 日本の古写真:明治、大正、昭和、古い写真を通して「日本」を知るフォトブログ

Old Photos of Japan
1860年代から1930年代の日本の写真を紹介しています。1854年、日本は200年以上続いた鎖国を解き、それは真に驚くべき変化の引き金となりました。ちょうどその頃、まるで運命かのように、写真が発明されました。古い日本が消え、新しい日本が生まれるにつれ、挑戦心ある写真家たちが写真を撮りました。貴重で珍しいこれらの写真から、古い日本の当時の暮らしを見ることができます。

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1890年代の大阪 • 四天王寺

大阪の四天王寺は593年に聖徳太子(574~622)が建立したもので、日本の寺院建築の第一波世代に属する。日本最古の仏教寺院の一つで、四方を守護する四天王を安置するために建てられた。大阪では、親しみを込めて「天王寺さん」と呼ぶ。

写真には、中心に建つ金堂が写っている。金堂の背後には五重塔、その後ろには回廊の一部が見える。中門、五重塔、金堂と講堂は一直線上に並んでいるが、この伽藍配置は四天王寺式と呼ばれる。

6世紀には、崇佛派の蘇我氏と排仏派の物部氏という二大勢力の激しい抗争があった。その争いで蘇我氏に味方した聖徳太子が、勝利を願って四天王寺を建立する誓いをたて、勝利の後その誓いを果たすために建立したもの。安置されている四天王とは、北を守護する多聞天(毘沙門天)、東の持国天、南の増長天と西の広目天である。1

四天王寺の建立には、外来者に強い印象を与える場所が選ばれた。難波(現在の大阪)は、アジア諸国から日本に来航する商人や外交使節にとって最も重要な入国地点だった。四天王寺は、外国からの訪問者が最初に目にする建物だったろう。ここからの眺めは圧巻で、五重塔の最上階からは淡路島が見えたと言われる。また、僧侶や信者が黙想の一つとして、大阪湾に沈む夕陽を拝む場所でもあった。

聖徳太子が、女帝推古天皇(在位593~628)の治世に仏教を日本に導入する上で演じた役割は大きかった。奈良法隆寺は、1993年に日本で初めてユネスコの世界遺産に指定されたが、これも聖徳太子の建立である。法隆寺には、2,300を超える重要文化財や歴史的建築があり、世界最古の木造建築がある。

残念なことに四天王寺はそれほど恵まれず、戦乱でしばしば破壊されてその都度再建されている。1934年の室戸台風による被害は大きく、その後大規模な修復が行なわれて往時の栄光の姿を取り戻した。しかしこの再建から僅か数年後には、第二次世界大戦がこの木造建築に終止符を打った。日本の産業の基盤である大阪にあったために、1945年3月のアメリカ空軍による焼夷弾爆撃で金堂や五重塔などの幾つかの建物が完全に破壊され、1960年代初期に鉄筋コンクリートで再建された。

この写真は、破壊される前の金堂と五重塔が写っており、歴史的に極めて重要なものである。

現在は鉄筋コンクリートだが、四天王寺では今でも多彩な祭が幾つも行なわれている。疑いもなく最も興奮するのは「どやどや」で、1月14日に行なわれる。数百人の若者が紅白の褌一つを身につけて、寒さを物ともせず、お札を奪い合う祭である。僧達が若者の群れの熱気に冷水を浴びせるので、彼等の身体から湯気が立つ。

毎月21日には大師会が開かれるが、これは寺院で開かれる市としては大阪で最も大規模なもの。600軒以上の露店が並び、特に古着などの衣類、骨董品、陶器や食料品がよく知られている。

数多くの日本の寺院を巡礼した、アド・ブランケンスタインが、現在の四天王寺を訪れて見事に描写している。是非見ていただきたい。

1 四天王寺、「四天王寺」。2007年4月2日検索

撮影者: 日下部金兵衛
発行元: 日下部金兵衛
メディア: 鶏卵紙
写真番号 70319-0005

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Posted by • 2007-04-02
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