OLD PHOTOS of JAPAN, 日本の古写真:明治、大正、昭和、古い写真を通して「日本」を知るフォトブログ

Old Photos of Japan
1860年代から1930年代の日本の写真を紹介しています。1854年、日本は200年以上続いた鎖国を解き、それは真に驚くべき変化の引き金となりました。ちょうどその頃、まるで運命かのように、写真が発明されました。古い日本が消え、新しい日本が生まれるにつれ、挑戦心ある写真家たちが写真を撮りました。貴重で珍しいこれらの写真から、古い日本の当時の暮らしを見ることができます。

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1890年代の大阪 • 心斎橋

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心斎橋(心斎の橋)から北大阪を見た写真。橋を渡った辺りは書店が多いことで知られた。背景にある大きな建物は、北御堂と南御堂で何れも仏教寺院。写真左の洋館は電信支局。

心斎橋付近は、新町の紅灯街や道頓堀の芝居小屋街に近かったので、商店街として栄え、漆器、書物、古道具、琴三味線、紙飾や飾り物などを売る店があった。今は大丸百貨店になっている老舗の呉服屋はこの写真が撮影されている心斎橋筋にあった。

写真の洋式鉄橋は、1873年(明治6年)にドイツから輸入したもので、長さは37.1メートル、幅は5.2メートル。大阪では二番目に大きく、全国でも五番目に大きな橋だった。

それ以前の橋は、岡田心斎が1622年(元和8年)に架けた木造の橋で、長さは35メートル、幅は4メートル。橋の名前は、岡田心斎にちなんだもの。岡田心斎は、長堀の運河を開削した4人の商人の1人。この鉄橋は1909年(明治42年)に架け替えられて石橋となった。1

長堀の運河は、1964年(昭和39年)に埋め立てられて、長堀通となった。それと同時に石橋は歩道橋に転用された。昔は絵のような風景だったこの運河は、騒がしい車がひしめく大通りに変わっている。大阪の美しい場所が一つ永久に失われた。2

元の鉄橋は、1973年に再建されて、1989年3月に大阪の鶴見緑地に移設されている。3

1997年には、以前運河であった場所に地下商店街と娯楽施設ができた。建設費は770億円という途方もない額だった。石橋の一部は、横断歩道になっている。4

長さが730メートルある、このショッピングアーケードの約3分の1はガラスの屋根で、その上を水が流れている。橋の一部と水のお陰で、運河は決して姿を消したわけではないと思わせるに違いない……..
心斎橋地図-1877
明治10年の大阪の地図:1ー西横堀、2ー東本願寺(南御堂)、3ー長堀、4ー心斎橋。

1 心斎橋筋商店街振興組合、心斎橋の年表。2007年3月30日検索

2 大阪市、心斎橋(しんさいばし)。2008年2月3日検索

3 大阪市鶴見区役所、初代心斎橋。2007年3月30日検索

4 関西広域機構 関西広報センター、復元心斎橋の下に“川“、地下街のガラス天井に水を流し。2007年3月30日検索

撮影者: 日下部金兵衛
発行元: 日下部金兵衛
メディア: 鶏卵紙
写真番号 70319-0007

写真利用許可を申請される場合は、この写真番号で指定して下さい。
オンラインのご注文も可能です(英語): 70319-0007 @ MeijiShowa.com

注意
写真の使用には料金が発生します。
Posted by • 2007-03-30
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