70420-0027 - Mercantile Houses in Kobe, 1920s

1920年代の神戸
商館

撮影者 撮影者未詳
発行元 Taisho Hato
メディア 絵葉書
時代 大正
場所 神戸
写真番号 70420-0027
注文 デジタルデータ
著者

1922年から1927年頃の神戸海岸通にあった堂々とした建物。この通りは外国人の間では「バンド」(Bund)という名で知られていた。

この通りは元来直接海に面していた。(この時期より40年前の同じ場所の風景は「1880年代の神戸• 海岸通の建物」にある。)1921年までには、湾の埋め立てによって港の取扱い能力は210万トンに増えていた。1 現在の神戸港は、金額にして日本の貿易量の40%を扱っている。この写真に見られるように、その工事によって通りがかなり内陸寄りに動いている。

大正9年(1920年)神戸地図
大正9年(1920年)神戸地図 1.メリケン波止場、2.内務省土木出張所、3.カナダ太平洋汽船(Canadian Pacific Steamships, Ltd.)、4.香港上海銀行(Hongkong and Shanghai Bank)、5.三井物産、6.大阪商船会社、7.オリエンタルホテル(Oriental Hotel)。

この写真が撮られたのは、大手海運会社の日本郵船神戸支店の屋上からであることはまず間違いない。このビルは1918年(大正7年)に完成し、「神戸郵船ビル」という名で現存している。

平成20年(2008年)・神戸郵船ビル
平成20年(2008年)・神戸郵船ビル

左側に見える建物は、左から右に:

1.カナダ太平洋汽船(Canadian Pacific Steamships, Ltd.)、海岸通一番地2

この会社は1884年にカナダ太平洋鉄道 (CPR)として創業。太平洋横断のサービスは1887年に始まった。2005年には、その後を継いだ会社はハパグ・ロイド(Hapag Lloyd)に買収されている。カナダ太平洋鉄道の汽船は、早くから神戸に寄港していたが、会社の事務所が神戸に初めて置かれたのは1898年になってからである。この会社の神戸支店は何度か移転しているが、1915年(或いは1914年)から1927年までは海岸通一番地にあった。

混乱するが、同じような名前の太平洋郵船(Pacific Mail Steamship Company)という会社も神戸に支店を持っていた。この会社の本社はアメリカにあって、1870年(明治3年)には神戸、長崎、上海間の海運事業を行なっていた。この角のビルにあるのが太平洋郵船だとする書物やインターネットのサイトが多いが、20世紀初頭のどの要覧を見ても、それは誤り。なお、この会社は現存しているが、社名はAPLに変わっている。3

神戸海岸通のカナダ太平洋汽船神戸支店
1920年代・神戸海岸通のカナダ太平洋汽船神戸支店

2.香港上海銀行(Hongkong and Shanghai Bank)、海岸通二番地2

1865年にスコットランド出身トーマス・サザランド(Thomas Sutherland)が創業し、現在はHSBCという名でよく知られている。二番地にあったのはウオルシュ・ホール商会(Walsh Hall & Co)のオフィスで、この商会は三宮に製紙工場を建てた。序でながら、この事業はその後三菱製紙に発展した。1881年にこの土地は香港上海銀行に売却されたが、1918年発行のジャパン・クロニクル紙の記念号によると、大きな金額だった。4

「スウェイン船長の話では、ウオルシュ・ホール商会が経営困難になって香港上海銀行が債権者となったので、この銀行は海岸通のこの土地を同商会から買取った。その価格は17,000ドルと報じられており、法外な金額と見られていた。」

3.三井物産、海岸通三/四番地2

三井物産神戸支店は河合浩蔵の設計で、1918年(大正7年)大手建設会社竹中工務店が建てた。

河合は、神戸地方裁判所庁舎、相楽園の美しい旧小寺家厩舎や奥平野浄水場施設も設計している。現在この建物は、神戸市水の科学博物館として利用されている。

1995年の阪神・淡路大震災の後、三井物産ビルは大きなガラスの塔である海岸ビルに組み込まれた。

神戸海岸ビル
平成20年(2008年)・旧三井物産、現在の海岸ビル

4.大阪商船、海岸通五番地2

この建物は、渡辺節建築事務所が設計して1922年(大正11年)に大林組が建てた。その前この土地はオランダ、ドイツ、イタリア、アメリカ領事館が使っていた。

大阪商船会社(OSK)は1884年(明治17年)創業で、本社は大阪にあった。日本有数の海運会社の一つで、アメリカ、ロシア、中国、香港やフィリピン向けをはじめ、多くの航路を運用していた。1964年には三井船舶と合併して商船三井となっている。

神戸旧大阪商船
旧大阪商船

5.オリエンタルホテル(Oriental Hotel)、海岸通六番地2

神戸の外国人向けの主要ホテル。1882年(明治15年)に外国人居留地の八十番地、京町と中町の角で創業し、1907年(明治40年)に海岸通に新しく移転した。1910年代の後半に、東洋汽船会社が買収して完全に改装している。

70314-0023 - 神戸海岸通
反対側から撮った同じビルの列。最初の写真を撮影した日本郵船ビルの一部が左端に見える。

1920年版の「Terry’s Guide to the Japanese Empire」には、バンド(海岸通)について次のように述べている。5

「頑丈な護岸が魅力的な外国人居留地に沿って走っており、そこから離れて建っている豪華な建物群が、繁栄と安定の雰囲気を醸しだしているが、これは日本の港が全てそうだと言うことではない。」

「40年前には、木造のジャンクやサンパンを作っていた場所に、今ではドックがあって、浴槽のような不定期貨物船からタービン式の魚雷艇まで、あらゆるクラスや大きさの蒸気船が造られている。このような変貌は、大阪湾沿岸のどこでも起こっている。夜明けを告げるのは最早寺の鐘の深々とした響きではなく、蒸気の汽笛とサイレンのけたたましい叫びである。その耳障りな音は、それで眼を覚まさせられる人々の耳に不協和音となって聞こえ、それで工場や仕事場での毎日の仕事に呼ばれる人々の耳には無情に響く。どこを見ても、産業活動や商業活動が着実に発展している兆しが窺われ、絵のような風景を愛する人々は、嘗ては苔むしていた神社や鳥居が周囲の工場からの煤煙で汚れていることを嘆くかも知れないが、いまの味気ない時代には煙を吐く工場の煙突の方が、最も苔むした寺や最も神秘的な神社より国家の資産として遥かに価値があるという覆すことのできない事実は残る。」

神戸海岸通
平成20年(2008年)・同じ場所

現在の地図を見る

脚注と文末脚注

1 神戸市役所(1912)。The City of Kobe. 光村印刷株式会社、 8。

2 (1921). Kobe Guide, Everyman’s Directory 1921-1922. The Japan Commercial Guide Co., 141. 他の幾つかの要覧に、この所在地は「Bund」地となっている。

3 APL. APL History (pdf file). 2021年8月23日検索 。

4 (1918) Jubilee Number 1868-1918. The Japan Chronicle, 47.

5 Terry, T. Philip (1920). Terry’s Guide to the Japanese Empire, including Korea and Formosa. Houghton Mifflin Company, 623-624.

公開:
編集:

引用文献

ドゥイツ・キエルト()1920年代の神戸・商館、オールド・フォト・ジャパン。2024年03月28日参照。(https://www.oldphotojapan.com/photos/503/shoukan)

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写真番号:70420-0027

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