OLD PHOTOS of JAPAN, 日本の古写真:明治、大正、昭和、古い写真を通して「日本」を知るフォトブログ

Old Photos of Japan
1860年代から1930年代の日本の写真を紹介しています。1854年、日本は200年以上続いた鎖国を解き、それは真に驚くべき変化の引き金となりました。ちょうどその頃、まるで運命かのように、写真が発明されました。古い日本が消え、新しい日本が生まれるにつれ、挑戦心ある写真家たちが写真を撮りました。貴重で珍しいこれらの写真から、古い日本の当時の暮らしを見ることができます。

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1890年代の嵐山 • 川に浮かぶ丸太

京都嵐山の川に浮かぶ丸太。背景に渡月橋が見える。この橋で川の名前が保津川から桂川に変わる。更に上流では大堰川と呼ばれる。この川は保津峡、またの名嵐峡という、息を呑むような渓谷を流れる。

この渓谷は急流が多く、目を驚かすような岩の眺め、美しい山の眺めを楽しめる。亀岡の保津橋から始まり、嵐山の有名な渡月橋で終わる。

1948年(昭和23年)頃まで何百年にも亘って, この川は人や、米、大麦、小麦、炭、木材などの物資を遠くは丹波から運ぶ水路だった。

この川は淀川につながっており、国道や鉄道のできる遥か以前から大阪へ物を早く運ぶルートとして、無限の可能性があった。巨大な大阪城や幾つかの寺院の建材でさえ、この川を下って運ばれた。1606年頃には、名高い京都商人の角倉了以(1554-1614)が狭かった峡谷を広げる工事を行ない、京都の主要な商業ルートになった。.

これらの丸太は川を更に流れ下って、丸太町から車で二条まで運ばれ、ここで製材された。(「1890年代の京都 • 鴨川」を見て欲しい。)

1895年(明治28年)に始まった、川を二時間で下る「“>保津川下り」は観光客に人気が高い。現在、季節によって変化する峡谷に魅せられて川を下る観光客の数は年間約30万人。

撮影者: 撮影者未詳
発行元: 発行元未詳
メディア: 鶏卵紙
写真番号 71205-0016

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Posted by • 2008-05-13
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