OLD PHOTOS of JAPAN, 日本の古写真:明治、大正、昭和、古い写真を通して「日本」を知るフォトブログ

Old Photos of Japan
1860年代から1930年代の日本の写真を紹介しています。1854年、日本は200年以上続いた鎖国を解き、それは真に驚くべき変化の引き金となりました。ちょうどその頃、まるで運命かのように、写真が発明されました。古い日本が消え、新しい日本が生まれるにつれ、挑戦心ある写真家たちが写真を撮りました。貴重で珍しいこれらの写真から、古い日本の当時の暮らしを見ることができます。

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1880年代の大阪 • 松島遊郭

大阪にあった風俗街松島の風景。堂々たる遊郭の前に停まっている人力車と使用人たちが写っている。松島は1868年(明治元年)に大阪にあった川口の外国人居留地の近くにできた。松島遊郭ができたのはその翌年。

僅か数年後の1872年(明治5年)に、大阪府は近くの江之子島にイギリス人建築家ウオルターズの設計による新たな大阪府庁舎の建設を開始。完成したのは1874年(明治7年)で、その後1926年(大正15年)11月まで市庁舎として利用された。近くに外国人居留地や、賑やかな風俗街があり、西洋風の大阪府庁舎(短期間だが大阪市庁舎も同居していた)があったので、この一帯は出かけるには面白いところだったに違いない。

この地区は新しくできたので、新しい地名が必要になった。松島という地名は、松ヶ鼻と寺島という2つの村が合併してこの風俗街が生まれたことから付けられたもの。

1921年(大正10年)松島の最盛期には、約4,000人の女性が働いており、幅約12メートル、長さ360メートルの本通に面して275軒の楼閣が並んでいた。

松島はこの間数多くの逆境を乗り越えて来た。1885年(明治18年)には火災で一部を焼失し、川口居留地の外国人も1899年(明治32年)までには神戸に移った。1926年(大正15年)には、人望のあった大阪の政治家が何人か関わった派手な金銭スキャンダルの舞台になった。

最悪の事態は、1945年(昭和20年)のアメリカ空軍による焼夷弾爆撃でこの一帯が全滅したこと。戦後、旧遊郭街は公園となり、その西側に新しい遊郭街ができた。昔の賑いには及ばなかったが、かなりの復興を見せた。

1958年(昭和33年)に売春防止法が施行されると、これらの遊郭は松島料理組合を結成して、この紛らわしい名前の下に売春業を何とか続けている。

関西で今でも売春が公然と行なわれているのは9箇所あり、この一帯はその一つ。他には飛田がある。男性の最も基本的な衝動をなくすのは簡単ではないようだ。


1877年(明治10年)の大阪地図:1.堂島、2.堂島川、3.中之島、4.土佐堀川、5.西横堀、6.西本願寺(北御堂)、7.川口居留地、8.江之子島、9.東本願寺(南御堂)、10.松島、11.長堀、12.心斎橋、13.道頓堀、14.戎橋

撮影者: 撮影者未詳
発行元: 発行元未詳
メディア: 鶏卵紙
写真番号 80115-0023

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注意
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Posted by • 2008-03-20
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