OLD PHOTOS of JAPAN, 日本の古写真:明治、大正、昭和、古い写真を通して「日本」を知るフォトブログ

Old Photos of Japan
1860年代から1930年代の日本の写真を紹介しています。1854年、日本は200年以上続いた鎖国を解き、それは真に驚くべき変化の引き金となりました。ちょうどその頃、まるで運命かのように、写真が発明されました。古い日本が消え、新しい日本が生まれるにつれ、挑戦心ある写真家たちが写真を撮りました。貴重で珍しいこれらの写真から、古い日本の当時の暮らしを見ることができます。

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1873年の横浜 • 弁天橋と横浜駅

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弁天橋と横浜駅の風景。線路は建物の後ろにあって見えないが、何両かの貨物車が右側の操車場に見える。背景に見えるのは伊勢山皇大神宮と野毛不動のある野毛山。当時野毛山は裕福な商人の住宅地として人気があった。駅は東京へ向う鉄道の出発点。

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1890年代 • 果物屋

果物屋

2人の男と何人かの子供達が果物屋の中にいる。この店は大変品揃いが豊富に見えるが、当時日本の食生活では果物は今ほど大きな部分を占めてはいなかった。普通に食べていたのは、蜜柑、メロン、柿、枇杷、梨、梅、杏、桃や林檎。桜の木は数え切れない程あったが、桜ん坊は珍しく、苺やその他のベリー系の果物も同じだった。

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1890年代 • 八百屋

八百屋の主人が非常に大きな蕪を手にしている。林檎が大量に並んでいるところを見ると、林檎専門に扱っているように見える。牛蒡、大根、芥子菜、葱も主人の前に並んでいる。軒先のパネルは、売り物を日差しから守るため考え出したもの。

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1890年代 • 明治時代の葬儀

霊柩車とその周りに大勢の参列者が写っている。場所は東京か大阪のような都会と思われる。幟には「故石橋老母喜久」の名が読める。明治時代、葬儀には通常大勢の人々が参列し、費用もかかった。短い間に一家に続けて二つの葬儀があると、その家は破産すると言われた。社会評論家からの批判、特に車が増えて人々が道路から押し出されるといった社会の変化などで、これらの派手な行事は結局終わりを迎えることになった。

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