OLD PHOTOS of JAPAN, 日本の古写真:明治、大正、昭和、古い写真を通して「日本」を知るフォトブログ

Old Photos of Japan
1860年代から1930年代の日本の写真を紹介しています。1854年、日本は200年以上続いた鎖国を解き、それは真に驚くべき変化の引き金となりました。ちょうどその頃、まるで運命かのように、写真が発明されました。古い日本が消え、新しい日本が生まれるにつれ、挑戦心ある写真家たちが写真を撮りました。貴重で珍しいこれらの写真から、古い日本の当時の暮らしを見ることができます。

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1920年代の神戸 • 兵庫区

神戸の多門通から兵庫区の三角公園を撮った写真。右側の道路は大開道で、左側は柳原線である。この道は兵庫駅に通じていたが、今でもそうである。撮影者は新開地を背にしているが、ここは第二次世界大戦までは神戸の商業と娯楽の中心で、劇場が多くあることで知られていた。見たところ大した場所ではないが、この辺りは実際神戸発祥の地である。

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1920年代の神戸 • 商館

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1922年から1927年頃の神戸海岸通にあった堂々とした建物。この通りは外国人の間では「バンド」という名で知られていた。この通りは元来直接海に面していた。(この時期より40年前の同じ場所の風景は「1890年代の神戸 海岸通の建物」にある。)1921年までには、湾の埋め立てによって港の取扱い能力は210万トンに増えていた。1 現在の神戸港は、金額にして日本の貿易量の40%を扱っている。この写真に見られるように、その工事によって通りがかなり内陸寄りに動いている。この写真が撮られたのは、大手海運会社の日本郵船神戸支店の屋上からであることはまず間違いない。このビルは1918年(大正7年)に完成し、「神戸郵船ビル」という名で現存している。

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1890年代 • 畳職人

職人が二人、戸外の仕事場で畳を作っている。道具類が畳の上に置いてある。畳の起源は古い時代にまで遡るが、その頃は床の上に薄い敷物を畳んで重ねてその上に座っていた。その後次第にこれが変化して、現在我々の知っている畳になった。畳が全ての階層の間で床全体を覆うものとして広く使われるのは17世紀になってから。第二次大戦後、洋式の家具を使うようになって、畳は次第に日本の家では見られなくなった。今では、新しいアパートでは畳のないものが増えている。

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1880年代の神戸 • 海岸通の建物

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神戸の海岸通の静かな一日。漁師達が、護岸の前の砂浜に舫っている自分達の漁船で作業している。中央にある大きな建物は、2番地にあったウォルシュ・ホール商会のオフィス。1868年にアメリカの貿易商ジョン・ウォルシュが自分の兄弟と共に設立した会社で、三宮にあった製紙工場を持っていたが、これは三菱製紙の前身である。2番地にあった建物は、その後香港上海銀行に売却された。右の端に見えるのは3番地にあった茶の輸出商スミス・ベイカー商会。この写真は神戸を訪れた人が全て下船したアメリカ波止場から撮影したもの。この場所は見えないが、今のメリケンパークの一部である。

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