OLD PHOTOS of JAPAN, 日本の古写真:明治、大正、昭和、古い写真を通して「日本」を知るフォトブログ

Old Photos of Japan
1860年代から1930年代の日本の写真を紹介しています。1854年、日本は200年以上続いた鎖国を解き、それは真に驚くべき変化の引き金となりました。ちょうどその頃、まるで運命かのように、写真が発明されました。古い日本が消え、新しい日本が生まれるにつれ、挑戦心ある写真家たちが写真を撮りました。貴重で珍しいこれらの写真から、古い日本の当時の暮らしを見ることができます。

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1900年代 • 竹篭造り

竹篭造りの作業場で働く若い女性と婦人達。明治時代(1868~1912)に日本の指導者達が国家の経済発展の躍進を始動させた時、日本の女性の役割を永久に変えてしまった。女性達の多くは、当時全国に雨後の筍のようにできた無数の工場で働くことになった。日本の女性達が少ない賃金で長時間意欲的に働かなかったら、日本が工業化に成功することはなかったろう。これは数字が物語る。1894年には、木綿工場の工員の90%は女性で、しばしば完全に非人間的な条件で働いていた。

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1910年代の京都 • 八坂の塔

祇園祭でよく知られている八坂神社と、巨大な木造の舞台で知られている清水寺の間に、この46メートルの八坂の塔がある。この塔は一本の木製のシャフトを中心に建てられている。塔の正式な名は法観寺で、聖徳太子(573~621)の創建になるこの寺は、嘗ては東山一帯に広大な面積を占めていた。現存するのはこの塔のみだが、この辺りの小さな家々の間に誇り高く建っている。

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1910年代の神戸 • 蒸気ランチ

メリケン波止場の港内ランチ。この波止場は永い間神戸の中心的な埠頭だった。大型船が港に停泊できるようになるまでは、ランチが警笛を鳴らしながら数多くのジャンクやその他の小型船の間を次々と縫って、乗船客とその荷物を停泊中の船から埠頭に運んでいた。港が発展すると、メリケン波止場は上陸場所としての重要性を失い、1987年には遂にメリケンパークの一部となって姿を消した。メリケンとはアメリカンを地元の人々がそのように発音したもの。

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1900年代の神戸 • 相生橋からの眺め

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東海道線の蒸気機関車が貨車を押している。撮影者は鉄道の高架橋である相生橋の上から、東を向いて神戸駅を背にしていた。神戸大阪間の鉄道が開通したのは1874年5月。32.7キロの区間を70分で走った。今では20分と少しである。1876年には京都まで延長され、1889年になると神戸から東京の新橋駅までの旅が可能になった。相生橋は、大きなショッピング街の元町通と湊川神社のある多門通をつないでいた。この神社は神戸では最も大切な神社。

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