OLD PHOTOS of JAPAN, 日本の古写真:明治、大正、昭和、古い写真を通して「日本」を知るフォトブログ

Old Photos of Japan
1860年代から1930年代の日本の写真を紹介しています。1854年、日本は200年以上続いた鎖国を解き、それは真に驚くべき変化の引き金となりました。ちょうどその頃、まるで運命かのように、写真が発明されました。古い日本が消え、新しい日本が生まれるにつれ、挑戦心ある写真家たちが写真を撮りました。貴重で珍しいこれらの写真から、古い日本の当時の暮らしを見ることができます。

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1935年代の岡山 • 女学校の教室風景

女学校の教室風景。この写真は岡山のある女学校の1935年度の学年アルバムから取ったもの。このアルバムには55枚の写真が収められていて、女学生達が勉強し、西洋のスポーツだけでなく日本古来のスポーツをやり、ゲームで遊び、ポーズし、鉄道の駅や街に出ているのが写っている。また、教室の場面、先生達や学校の事務員達の写真、それに昭和の頃の木造校舎そのものの写真も収められている。明治、大正、昭和初期の日本の教育については、「1935年代の岡山 女学校の弁当の時間」で更に詳しく述べている。

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1935年代の岡山 • 女学校の弁当の時間

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女学生達が教室で弁当を開いている。女学生達は同じ髪型で、黒っぽい洋風の学生服を着ている。この制服は長いスカートとボタンで留める上着である。建物は木造のように見えるが、これは1950年代になって一斉にコンクリートのビルに取って代られるまで、日本中で共通の現象だった。別の写真は、現代の日本の学校の昼食時間のもの。(クリックすると拡大。)

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1910年代の姫路 • 姫路城

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現在の兵庫県姫路市にある姫路城を最初に築いたのは、赤松貞範(1306~1374)で、1346年のこと。1601年に徳川家康(1543~1616)が池田輝政(1564~1613)にこの城を与え、池田輝政は9年の歳月をかけて日本の城設計の真の傑作となったこの城を完成させた。その新しい城は、徳川幕府支配の力を誇示するための象徴としての役割を演じることになるが、実際の戦いに遭ったことは一度もなく、現存している。1931年には国宝に指定され、1993年には日本初のユネスコ世界遺産に指定された。壁の白さと、将に飛び立とうとしている鳥に似ているデザインから、白鷺城と呼ばれる。

防衛のための城として設計された姫路城の主要な建築物は、一つの大天守閣と三つの小天守閣で構成され、播磨平野を見下ろす二つの丘の上にある。大天守閣は二つの内一つの丘の上にあって、他の三つの小天守閣とは回廊と通路でつながっている。大天守閣の下には御殿があったが、火災で焼失した。

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1910年代の神戸 • メリケン波止場

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海岸通からのメリケン波止場の眺め。右側の建物には「baggage keeper」という看板が見える。通りの表面には、沢山の人力車の轍の跡があり、この突堤が賑わっていることを無言の内に語っている。メリケン波止場と神戸港について更に詳しいことは、「1910年代の神戸 • 蒸気ランチ」にある。

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