OLD PHOTOS of JAPAN, 日本の古写真:明治、大正、昭和、古い写真を通して「日本」を知るフォトブログ

Old Photos of Japan
1860年代から1930年代の日本の写真を紹介しています。1854年、日本は200年以上続いた鎖国を解き、それは真に驚くべき変化の引き金となりました。ちょうどその頃、まるで運命かのように、写真が発明されました。古い日本が消え、新しい日本が生まれるにつれ、挑戦心ある写真家たちが写真を撮りました。貴重で珍しいこれらの写真から、古い日本の当時の暮らしを見ることができます。

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1900年代の横浜 • 横浜駅

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横浜駅は、1872年(明治5年)6月12日に開通した日本最初の鉄道の終着駅。当時は乗客と貨物を運んだのは品川までだったが、10月には新橋まで延長されて、港町横浜は東京都心と結ばれた。この新しい鉄道によって、両都市間の旅行時間が大幅に短くなった。徒歩では10時間から12時間、馬の場合早駆けでも4時間かかったものが、汽車なら僅か53分だった。これが横浜、特に駅に近い野毛の発展に大きく貢献した。

横浜駅を設計したのは、1864年(元治元年)にサンフランシスコから日本に来たアメリカ人建築家のリチャード・ブリジェンス。建築家として横浜と東京で活躍したブリジェンスが、この両都市の西洋建築に与えた影響は、強調しても強調し過ぎることはない。横浜駅と、対になる東京駅以外にも、明治時代に大きな役割を演じた建物の多くは彼の設計。

特に目を惹いたのは、築地ホテル館(1868~1872)で、西洋建築と日本建築のユニークな組合せ。他にもブリジェンスの設計としてよく知られているのは、港近くの魅力的な3階建てレンガ造りの横浜税関(1873~1910?)、それに横浜町会所(1874~1906)がある。また最初の横浜グランドホテルを建てたと信じられている。

ブリジェンスは1891年(明治24年)に亡くなった。墓は今でも横浜外国人墓地にある。

新しく鉄道が開通したことは、海外でも関心を呼んだ。ニューヨーク・タイムスは、6月の開通後に短く、次いで明治天皇が新橋と横浜を往復した1872年(明治5年)10月14日の公式開通式の際と、二度まで報じている。

日本では最近珍しい光景が見られた。横浜と江戸の間に鉄道が完成し、ミカドが開通式を行なったが、フランスのコルベット艦ベリキューズ号の軍楽隊が“Voici le Sabre de mon Père.”を演奏してその場を盛り上げた。東洋の厳粛さと西洋のバーレスクが幻想的に混じり合い、実用主義の単調で科学的な精神がロマンスの時代の壮麗で野蛮な荘厳さと混じり合ったのは、少々奇妙だったに相違なく、周りの色々な光景がそれを更に強調していた。

海外の全ての海洋国家列強の代表が列席していたようで、むろんこれらの参列者は大礼服や制服を着用していた。ミカドの近衛兵が着用していたのは、普通には見られない華々しさが目立つ現地の制服で、ミカド自身は、雪のように白い簡素な長衣と黄色の絹のマントを身につけていた。

公平な読者は、この開明的な君主が普通の顔立ちで皮膚は灰色がかったオリーブ色のハンサムな男性で、後ろ髪を頭の上に束髪に編み上げ、その上に小さな絹の帽子を被っていたと知れば、興味を示すだろう。

列席の閣僚は、緑、紫、それに薔薇色のクレープ織の礼服に身を包み、陸海軍の士官は、金のレースをたっぷり着けていた。また多種多様な飾り物や旗が、多彩な刺繍や宝石で煌いており、豪華だった。

ミカドを乗せた儀式用の馬車が到着すると、豪華な織物の長い絨毯が降り口と列車の皇室用車両の間に敷かれ、この日本国の第一人者は、威厳を見せながら幕僚や美しい宮廷の女官たちを従えて進んだ。

轟く砲声と太鼓の連打、アメリカ人やヨーロッパ人の参列者の「フラー」の声、忠誠な日本人が挙げる歓呼の声、その中を日本で最初に客車を牽く蒸気機関車が、横浜に向けてゆっくりと動いた。科学で西と東を近づける新たなリンクがここで堅く結ばれたのだ。今の世代で、この光景ほど示唆に富んだものは少なかった。


横浜駅の浮世絵

この新たな日本の鉄道は、帝国最初の港町と首都を結ぶもので、フランス式に測ると約30キロになる。日本政府の費用で建設されたが、監督したのはイギリス人技師。経費は1,100万フラン、つまり1マイル当たり22万ドルになる。これは膨大な金額と見えるが、国内で最初に敷かれた鉄道であることを考えれば、過大とは思えない。

この鉄路は大阪まで続くことになっており、他の方角にも広がるというニュースも間もなく聞かれるのは疑いない。また「強気」と「弱気」を組み合わせて株価を上下させる投機家達が現れ、地元でもウオール街の大物並みの有名で悪名高い「投資家」が現れたことを知るのも間もないことだろう。

日本で鉄道が大いに奨励されることは確実で、それには尤もな理由がある。先ず現在の鉄道が大きな利益を挙げることは確かである。これによって、横浜の商人達は商品を半時間で江戸まで送ることができる。その結果、日本列島各地の豊かな産物が、海岸まで運ぶことで、容易に市場が見出せることが嫌でも明らかになり、我が国の太平洋貿易がこれによって有利になることも、それに劣らず明白である。アメリカ製品の市場が創出されることは疑いなく、我が国の富を大きく増やす交流システムが遠くない将来に始まるだろう。

そこで、嘗てないコントラストと多様性、アラジンとシンドバッドの夢とジェームス・ワットとフルトンの夢との融合、或いは将来の大きな交易見通し、これら何れの面でも、この横浜と江戸の間に鉄道が開通したことは、我々にとって全ての面で興味深く、我々の時代で最も記憶されるべき出来事の一つとして記録するに値する。2

この記事は、開通式の様子を丁寧に再現しており、また将来を楽観し希望を持っている点で注目に値する。

目につくのは、この記者が東京のことを依然江戸と書いていること。日本では、江戸は1868年(明治元年)に東京と改名されて以来使われなくなっていた。しかし、海外の出版物では、20世紀に入っても執拗に使われていた。

もう一つ注意を惹くのは、この記者が「日本で最初に客車を牽く蒸気機関車」と書いていること。これは単に興奮していたのか、ジャーナリストに許される誇張表現だったのかの何れかだろう。この鉄道は、正式開通した時には既に4ヶ月以上運行していた。


1890年(明治23年)の横浜地図: 1.伊勢佐木町通、2.吉田町通、3.都橋、4.野毛町通、5.吉田橋、6.柳橋、7.錦橋、8.大江橋、9.横浜駅、10.馬車道、11.弁天橋

1Voici le Sabre de mon Père」(曲のダウンロード)はジャック・オッフェンバック(1819~1880)作曲のオペレッタ「ジェロルスタン大公妃」の中の曲

2 The New York Times (1873-01-19). The “Iron-Horse” in Japan

撮影者: 撮影者未詳
発行元: 発行元未詳
メディア: 絵葉書
写真番号 70130-0013

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Posted by • 2008-04-24
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