OLD PHOTOS of JAPAN, 日本の古写真:明治、大正、昭和、古い写真を通して「日本」を知るフォトブログ

Old Photos of Japan
1860年代から1930年代の日本の写真を紹介しています。1854年、日本は200年以上続いた鎖国を解き、それは真に驚くべき変化の引き金となりました。ちょうどその頃、まるで運命かのように、写真が発明されました。古い日本が消え、新しい日本が生まれるにつれ、挑戦心ある写真家たちが写真を撮りました。貴重で珍しいこれらの写真から、古い日本の当時の暮らしを見ることができます。

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MeijiShowaでは、 明治、大正、昭和初期にかけてのアーカイブ写真・イラスト・ならびに古地図を、 エディトリアル・広告・パッケージデザインなどのライセンスとして販売しております。

1890年代の横浜 • 伊勢佐木町二丁目

伊勢佐木町と賑町の間一帯は、劇場街として外国人には知られていた。1877年(明治10年)頃から、この通りには劇場、茶屋、料理屋が数多くあって、多くの人々が集まって来て明治時代(1868~1912)中期の横浜で最も賑やかな場所になっていた。この写真は、松ヶ枝町(現在の伊勢佐木町二丁目)にあった勇座の辺りの、1887年(明治20年)から1897年(明治30年)当時の様子を見せている。1899年(明治32年)の火事でこの辺りは消失して、全てが永久に姿を消してしまった。

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1910年代 • 子守をしている子供達

外国人が一様に驚いたのは、この写真のように子供達が自分達の幼い弟や妹を背負って遊んでいたこと。だから、日本の子供達が子守をしている写真や絵葉書は数え切れないほどある。確かにきつい仕事には違いないが、同時に恐らく子供達の間に絆が生まれ、将来親になるための準備にもなっていただろう。この頃は、日本の親達は自分達の子供をこのように背負うことはなかった。親から離して車で運んでいたので、親と子供の絆を作るという面では好い筈はなかった。

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1910年代 • お茶で一服

なんとも素晴しい、リラックスした場面。全員が昔からの服装をした女性が3人と幼い子供が2人、藁葺きの家の縁側で茶を飲みながら一休みしている。彼女達の服装は農作業に着るものには見えないので、一日の厳しい仕事の間の束の間の一服というより、近所の農婦達の茶飲み話かも知れない。或いは写真を撮るために着替えたのかも知れない。何れにせよ、木の破片が散らばっているので、このような休憩の時間は滅多になかったようだ。農家の女性たちにとって、家庭でも畑でも働く時間は長く、仕事は厳しかった。

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1890年代の京都 • 祇園の茶屋

京都の歓楽街祇園を、八坂神社の石段から見た風景。通りの両側には数多くの茶屋が並んでいるが、ここでは客が料理、踊り、音曲などを楽しめた。左側の塔は、1869年(明治2年)にできた弥栄小学校の一部で、見張りと時刻を知らせるのに使われ、二時間おきに見張り塔の太鼓を鳴らした。通りには既に電柱が並んでいる。京都の配電会社である京都電灯会社が操業を始めたのは1889年(明治22年)7月だから、この写真はその後に撮影されている。弥栄小学校の隣、電柱の直ぐ前にはガス灯も見える。京都は急速に近代化している。

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